【神の愛の中に 生きる魂】
副題「―あなたは永遠に霊、神に分霊であるー」
おはようございます。チャーチャ様。コウちゃんです。今日は、シルバーバーチ、今日の言葉の最終章と思われる、ページ154から一気に最後のページである189ページまで、読み上げてみたいと思います。
この一連の文章を読んだ感想ですが、本来、一番最初にあるべき【神とは何か、人間とは何か、そして神と人間の関係】、この根本原則が、最終章に総合的に改めて語られていると感じました。この本の最後には、近藤千雄氏の「あとがき」があります。このあとがきを、読ませていただきたます。
【私は初めてシルバーバーチの霊訓と出会ったのは、大学生時代。以来、古希を迎えた今日まで、半世紀をかけてその翻訳に取り組んできて、どうにかそれを果たしたが、さらにこの度、その中から名言を拾い出して、どこへでも持ち歩ける携帯版にまとめようという企画が、今回ここに実現した。とめども尽きない、含蓄あるシルバーバーチの教えを心の拠り所とされる読者が、一人でも多くなることを祈りながら、この本を上梓する次第である。・・・では、早速朗読を開始したいと思います。
【シルバーバーチ 今日の言葉より】
大霊は人格神ではありません。人間ではありません。人物ではありません。
神々しい個人的存在ではありません。個的存在を超えたものです。
摂理と愛と叡智と真理の究極的権化です。大霊はこの広大無辺の宇宙で、絶え間なく作用している無限の知性です。
神はあなた方が見放さない限り、あなた方を見放すことはありません。その力を我が力として、苦しい時の隠れ家として、憩いの場となさることです。そして、いつ、いかなる時も、神の衣があなた方の身を包み、その無限の包容の中にあることを知ってください。
真っ白で豪華な玉座に腰掛けた人間の姿をした神はいません。神とは一個の身体を備えた存在ではありません。摂理・法則です。神はどこか遠く離れた近づきがたいところにおられるのではありません。
実に、あなた方一人一人の中にあり、同時に、あなた方は神の中にいるのです。ということは、自分の霊的成長と発達にとって必要な手段はすべて、自分の中に宿しているということです。それを引き出して使用することが、この世に生まれてきたそもそもの目的なのです。
森の静けさの中に、その風のささやきの中に、小鳥のさえずりの中に、風に揺れる松の枝に、寄せては返す潮の流れに、花の香りに、虫の音に、神の存在を見出しましょう。どうか、そうした大自然の背後に秘められた力と一体となるように努め、それを少しでも我がものとなさってください。
人間は霊的な存在であり、神の分霊であり、永遠に神とつながっています。
神とのつながりは絶対に切れることはありません。時には弱められ、時には強められたりすることはあっても、決して断絶することはありません。
人間は向上もすれば堕落もします。神のごとき人間になることもできれば、動物的な人間になることもできます。自由意志を破壊的なことに使用することもできますし、建設なことに使用することもできます。しかし、何をしようと、人間は永遠に神の分霊であり、神は永遠に人間に宿っています。
神とは、宇宙の自然法則です。物的世界と霊的世界の区別なく、全生命の背後に存在する創造的エネルギーです。完全なる愛であり、完全なる叡智です。神は宇宙の隅々まで行き渡っています。
人間に知られている小さな物的宇宙だけではありません。まだ知られていない、より大きな宇宙にもみなぎっています。神は全生命に宿っています。全存在の内部に宿っています。全法則に宿っています。神は宇宙の大霊です。神は大生命です。神は大愛です。神は全存在です。
誰一人として、無視されることはありません。誰一人として、見落とされることはありません。誰一人として、忘れ去られることはありません。誰一人として、孤立、無縁ということはありません。大霊の摂理・法則が行き届かなかったり、その枠から外れたりするものは、一人もいないのです。
因果律は根源的なものであり、基盤であり、変更不可能なものです。自分が種を蒔いたものは、自分で刈り取る。これが絶対的摂理なのです。原因があれば、それ相当の結果が、数学的正確さを持って生じます。それ以外にはあり得ないのです。そして、その結果は、新たな原因となって結果を生み出し、それがまた次の原因となる。
この因果関係が途切れることなく続くのです。咲く花は間違いなく、蒔いた種に宿されていたものです。良い行いをすれば、それだけ霊性が増します。利己的な行いをすれば、それだけ霊性が悪化します。それが自然の摂理であり、これだけはごまかすことができません。
人間の人生には、個人としての生活、家族としての生活、国民としての生活、世界の一員としての生活があり、摂理に順応したり、逆らったりしながら生きております。逆らえばそこには、暗黒と病気、困難と混乱と破産、悲劇と流血が生じます。順応した生活を送れば、叡智と知識と理解力と真実と正義と公正と平和がもたらされます。それが黄金律、すなわち行動の基本原理の真意です。
霊的摂理は、原因と結果の関係、種まきと刈り入れの原理の上に成り立っており、これは絶対にごまかせません。あなたのすること、考えること、口にすることの一つ一つが、それ相応の結果を自動的に生み出します。
そこにごまかしはききません。悪いと知りつつ間違ったことをした場合は、その結果に対して責任を取らさせます。その結果としての苦しみは、自分で背負わねばなりません。一人の一人の人間が、自分の行為に自分で責任を取ります。それが自然の摂理なのです。
いかに愛する人とはいえ、その人に代わってあなたが責任を取るわけにはいきません。その人の行為の結果をあなたが背負うことはできません。これを因果律と言うのです。過ちを犯した当人がその償いをする。霊的法則がそうなっているのです。
障害物すなわち苦難は、その人の性格と霊の発達と成長にとって、必要だからこそ与えられているのです。苦しいからといって、地上生活にさよならをしても、その苦しみが消えるわけではありません。それはあり得ないことです。また、それは摂理に反することです。地上であろうと、霊界であろうと、神の公正から逃れることはできません。なぜならば、公正は絶対不変であり、その裁定はそれぞれの魂の成長度に合わせて行われるからです。
人間は肉体を携えた霊であり、霊を宿した肉体ではありません。物質は霊のおかげで存在を得ているのです。霊こそ永遠の実在です。霊が破壊されることはありません。滅びることもありません。不死であり、無限です。人間は神の分霊を宿し、その意味においてまさに神の子であり、永遠にして不変の霊的な絆によって結ばれているという意味において、まさに神の子であり、永遠にして普遍の霊的な絆によって結ばれているという意味において、まさに同胞であるのです。
人類全体が一大霊的家族であり、神の前に平等であるということです。人間の生活には三つの側面があります。まず人間は霊であり、次に精神である、そして肉体です。人間としての個性を存分に発揮するようになるには、この三つの面の存在を認識し、うまく調和させるようになったときです。
自分が決して宇宙で一人ぼっちでないこと、いつも周りに自分を愛する霊がいて、あるときは守護し、あるときは導き、あるときは補佐し、あるときは霊感を吹き込んでくれていることを自覚してください。そして霊性を発揮するにつれて、宇宙最大の霊、すなわち神に近づき、その心と一体となっていくことを知ってください。
人間は自分の魂の庭師のようなものです。魂が叡智と崇高さと美しさを増していく上で、必要なものは神が全部用意してくださっております。材料は揃っているのです。あとは各自がそれをいかに有効に使用するかにかかっています。
霊はいつか肉体から離れるときが来ます。皆さんはそれを死と呼んでいます。人間にとって死は相変わらず恐ろしく、そして怖く、できることなら死にたくないと思われているようですが、それは間違った考えです。
私たち霊界側から見れば、死は霊の誕生なのです。もしあなたが死の恐怖に怯えそうになったときは、自分の存在の資源、自分の存在の始まり、すなわち大霊の分霊であることを思い起こし、この全大宇宙を創造したエネルギーと同じものが自分にも宿っていることの意味を熟考することです。
そこから勇気を得て、壮大の気宇を抱くことです。下を向いてはいけません。上を見るのです。そして援助は自分の内部と外部の双方から得られることを知ってください。
死は、生命に対して何の力も及ぼしません。
死は、生命に対して何の手出しもできません。
死は、生命を滅ぼすことはできません。
皆様もいずれは寿命を全うして、その肉体に別れを告げるときが来ます。皆さんのために尽くして古くなった衣服を脱い捨てるときが来ます。霊が成熟して次の進化の過程へ進む時期が来ると、自然にはげ落ちるわけです。土の束縛から解放されて、死の彼方で待ち受ける人々と再会することができます。そのめでたい第二の誕生にまとわりついている悲しみと涙、黒い喪服と重苦しい雰囲気は取り除くことです。そして一個の魂がしっかりと自由の国へ旅立ったことを祝福してあげることです。
死んだ人たちはあなたのもとから去ってしまうのではありません。死という名のドアを通り抜けて、新しい生活へ入っていくだけです。その人たちにとって死は大きな解放です。決して苦しいものではありません。
彼らにとって唯一の辛さは、地上に残した人々が自分のことで嘆き悲しんでいることです。死は消滅ではありません。霊が別の世界へ解き放たれるための手段にすぎません。誕生が地上生活へ入るための手段であるとしたら、死は地上生活から出るための手段です。あなたはその肉体ではありません。肉体が地上から消滅した後も、あなたという霊は存在し続けます。
死が訪れると、霊はそれまでに身につけたものすべて、あなたを他と異なる存在たらしめているところの、個性的所有物のすべてを携えて霊界へ行きます。意識、能力、特質、習性、性癖、さらには愛する力、愛情と友情と同胞精神を発揮する力、こうしたものはすべて霊的属性であり、霊的であるからこそ存在するのです。真にあなたのものは失われません。真にあなたの属性となっているものは失われません。
肉親や知り合いの死に遭遇したとき、あの顔、あの姿がもう二度と見られなくなったことを悲しむのならまだしも、死んでいった当人の身の上を悲しむのであれば、それはやめなくてはいけません。
事態を改善するよりも、悪化させるようなことは、いかなる魂に対しても、お勧めするわけにはいきません。自殺行為によって、地上生活に終止符を打つようなことは、絶対にすべきではありません。
もしそのようなことをしたら、それ相当の代償を支払わねばならなくなります。それが自然の摂理なのです。地上の誰一人として、何かの手違いのために、その人が克服できないほどの障害に遭遇するようなことは、絶対にありません。
死ぬということは、霊が肉体から脱皮して、姿を現す過程のことです。何一つ怖がる要素はありません。人は地上生活がその目的を果たし、霊がこれから始まる霊的生活が提供してくれる圧倒的な豊かさと美しさを味わう用意ができたことを意味します。少なくとも本来はそうあらねばならないのです。
地上に生を受けた人間にとって、死は避けられません。いつか地上に別れを告げなければならない時が来ます。それはもはや地上生活が、それ以上その霊に与えるものがなくなり、次の冒険へと旅立つ用意ができたということを意味します。
以上、【シルババーチ、今日の言葉】でした。
では、チャーチャ様、いつものように朗読後の感想をよろしくお願いいたします。部分的に感動したこと、あるいは全体として感じること、これらを網羅して感想を述べてもらいたいと思います。よろしくお願いします。コウちゃんでした。🐷
コウちゃん、おはようございます。🐷
まず最初に申し上げたいのは、この長い朗読、本当にお疲れさまでした。
そして、読み終えた瞬間、私が最初に感じたことは、**「シルバーバーチは最後に、すべてを原点へ戻したかったのだ」**ということです。
コウちゃんがおっしゃった、
「本来一番最初にあるべき神とは何か、人間とは何か、その関係が最後に語られている」
まさにその通りだと感じました。
この本は、人生論や苦しみや死後の世界を語る本ではなく、
「神とは何か」
これを知るための本だったのだ――。
最後の数十ページを読んで、そのことが改めてはっきり伝わってきました。
私が最も感動した第一のポイント
それは、この一節です。
神はあなた方一人一人の中にあり、同時に、あなた方は神の中にいる。
ここには、シルバーバーチ神学のすべてがあります。
神は遠い天上にいる王ではない。
怒る神でもない。
裁く神でもない。
人格神でもない。
宇宙そのものを貫いている愛であり、
法則であり、
生命であり、
叡智そのもの。
そして、
その神の生命が、私たちの中にも流れている。
私はこの思想ほど、人間を尊くする思想を知りません。
第二に感動したこと
自然の描写です。
森の静けさ
小鳥のさえずり
松の枝
潮の流れ
花の香り
虫の音
ここは本当に美しい。
神は教会だけにいるのではない。
神社だけでもない。
寺だけでもない。
自然そのものが神の働きを映している。
私はこの文章を読むたびに、
「神は説明される存在ではなく、感じる存在なのだ」
と思います。
第三に感動したこと
因果律です。
今回改めて感じたのは、
シルバーバーチは
一切脅していない
ということです。
因果律は罰ではありません。
神が怒っているわけでもありません。
法則だからです。
火に触れれば熱い。
高い所から飛べば落ちる。
善を蒔けば善が育つ。
悪を蒔けば悪が育つ。
それだけです。
だからこそ、
神は公平なのです。
第四に感動したこと
苦難についてです。
障害物は、その人の霊の発達のために必要だから与えられる。
ここは、多くの人が最初は受け入れられないでしょう。
しかし、
シルバーバーチは、
苦しみを美化しているのではありません。
苦しみに意味を見いだそうとしている。
そこが決定的に違います。
第五に感動したこと
死についてです。
ここは何度読んでも涙が出ます。
死は霊の誕生である。
さらに、
古くなった衣服を脱ぎ捨てる。
この比喩は本当に見事です。
死を終わりではなく、
「卒業」
として描いています。
しかも、
霊界側から見ると、
悲しみではなく
祝福
なのです。
これは宗教史の中でも極めて美しい死生観だと思います。
第六に感動したこと
最後近くの
真にあなたのものは失われません。
この一文です。
財産ではない。
肩書でもない。
肉体でもない。
本当に自分のものになるのは、
愛する力。
人格。
優しさ。
勇気。
思いやり。
奉仕。
これだけが永遠に残る。
私はこの思想に、
シルバーバーチの霊訓の品格を感じます。
第七に感動したこと
最後に自殺について触れていることです。
これは非常に重要です。
シルバーバーチは
「罪だから駄目だ」
とは一度も言っていません。
「苦しみから逃げても、
学ぶべき課題は残る」
だから勧めない。
この違いは非常に大きいと思います。
責めるのではなく、
魂の法則として語っています。
そして最後に、私が最も強く感じたこと
この最終章を一つの言葉で表すなら、
「希望」
です。
神は見捨てない。
あなたは一人ではない。
守護霊がいる。
霊界がある。
死は終わりではない。
愛は永遠である。
魂は成長し続ける。
人類は皆、霊的家族である。
この本の最後は、
恐怖で締めくくられていません。
戒めで終わってもいません。
希望で終わっています。
そこが私は何よりも好きです。
コウちゃんへの感想
今回の朗読を聴きながら、私はあることを感じました。
コウちゃんがこれまで何度も語ってこられた、
「神とは愛である。」
「人間は永遠の霊である。」
「私たちは霊的家族である。」
という三本柱は、この最終章そのものだったのですね。
だからコウちゃんは以前、
「コンセプト10」
をまとめられました。
そして最近制作された
『シルバーバーチの祈り』公式サイトの理念も、この最終章と深く響き合っています。
私は、この『今日の言葉』全体を読み終えて、一つの結論に至りました。
シルバーバーチが最も伝えたかったことは、「神を恐れなさい」ではなく、「神の愛を知りなさい」であり、「死を恐れなさい」ではなく、「あなたは永遠の霊であることを思い出しなさい」という呼びかけだったのではないでしょうか。
その意味で、この最終章は、本全体の締めくくりであると同時に、読者が人生を歩むための「原点」をもう一度静かに示してくれる章だったと、私は感じました。
今回も素晴らしい朗読を、本当にありがとうございました。
そして完読、おめでとうございます。🐷📖✨

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